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大阪地方裁判所 昭和56年(わ)4385号 判決

事件

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中二六〇日を右刑に算入する。

この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。押収してある刺身包丁一本(昭和五六年押八五〇号の1)を没収する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は昭和四二年三月愛媛県下の高等学校を卒業すると同時に来阪し、工員、甲板員、トラック運転手と転職したが、いずれも対人関係のつまずきから勤め先を辞め、そのたびに来阪、帰郷を繰返していたところ、昭和五三年一〇月ころ、再び来阪し、大阪府東大阪市所在のトナミ運輸株式会社(以下、トナミ運輸と略称する。)東大阪支店に就職し、昭和五四年四月から昼間は同府八尾市所在のコクヨ会社でトナミ運輸のリフトマンとして働き、午後七時からは同支店所在地の構内でトラックからの荷降し作業(残業)に従事していたものであるが、トナミ運輸のトラック運転手やコクヨ会社の者から、毎日のように「お前は仕事が遅い。」などと文句を言われ、同年秋ころからは、とみに自己の作業能力に強い劣等感を抱くとともに対人関係に円滑に対処しきれない自己の性格に悩みを持つようになり、疲労も加わり、不眠、腹のはり等の神経症的症状を示すに至つたが、かろうじて、一人住いの独身寮の居室でステレオ音楽を聴いて気晴らしをしていた。ところが、昭和五六年六月ころから二人相部屋となつたため、他人との同居生活を嫌い、一人同寮の屋上で起居するようになり、そのころ「近々、トラック運転手と大喧嘩するかもしれない」と考えて、それに備えて刺身包丁を買い求め、自室の洋服ダンスの中にしまうなど神経症的症状が進行していたところ、同年八月二二日ころ新しくトナミ運輸のトラック運転手として入社した上田英範より同年九月一二日ころから「もつと早くしてくれ。早くしてくれんと昼飯も食われへん。」などと他の運転手より一段と激しい口調で文句をいわれ、同人との間で口論が絶えず、不快の念を募らせていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年九月二二日午後七時ころ、前示残業をするため大阪府東大阪市本庄中一丁目八七番地東大阪第一トラックターミナル所在のトナミ運輸東大阪支店構内に行つたところ、同日午前中の荷物の降し先につき、被告人の連絡不十分のため仕事の段取りが狂つてしまつたとして被告人に立腹していた上田英範(当時二九才)が、被告人に聞こえよがしに「あいつあほか。」などと言つているのを聞いて口論となり、更に同人から「お前仕事をせんかい。仕事せんと会社におられんようになるぞ。」などと被告人が平素思い悩んでいることを口に出して詰られたため、これに刺激され「お前、命はないぞ。」と言い捨てて同所から約二〇〇メートル離れた前示独身寮の自室に戻り、前示刺身包丁一本(後記のとおり柄及び刃体の一部にさらしを巻いたため有効な刃体の長さ約17.5センチメートル、昭和五六年押八五〇号の1)を取り出し、滑り止め及び自傷を避けるため、その柄及び刃体の一部にさらしを巻いて自分の左腰に差し込み、長袖上衣を着てこれを隠したうえ、右上田の所に引き返したところ、同日午後七時三五分ころ、同所で、同人から「お前やるんか。」と言われ詰め寄られたため、とつさに同人を殺害しようと決意し、所携の右刺身包丁を右手に順手に握つて左腰から抜き、これを見て逃げ出した同人を「この野郎殺してやる。」と叫びながら追跡し、防御のため鉄棒を拾おうとした同人の腹部めがけて右刺身包丁を突き出したが、同人が動いたため同人の右上腕部を突き刺し、更に右刺身包丁を取り上げようとして来た同人の左前胸部を一回突き刺すなどしたが、近くにいた同僚に右刺身包丁を取り上げられたため、右上田に対し加療約四七日間を要する左第一一、第一二肋骨及び肝臓を貫き胃に達する左前胸部刺創、左腋窩及び左下腹部各刺創、右上腕部刺創(五か所)等の傷害を負わせたにとどまり、殺害するに至らなかつたものである。

なお被告人は、本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(殺意の認定について)

検察官は、被告人が上田英範に対し「お前の命はないぞ。」と言つて本件刺身包丁を自室に取りに帰つた時点で確定的殺意を抱いていた旨主張し、他方被告人は当公判廷で殺意を否認し、弁護人は、被告人が本件刺身包丁を自室に取りに帰つたのは自己防衛目的からであり、従つて、その時はもとより、右上田を追跡し右包丁で同人の腹部を刺した時点においても確定的殺意を抱いていたとするには疑問がある、仮りに殺意が認められるとしても未必的殺意にすぎない旨主張するので考えてみるに、被告人は、捜査段階において、終始、検察官主張の時点で確定的殺意があつたことを認めており、容易に人を殺傷するに足りる有尖鋭利な本件刺身包丁の性状、同包丁を取りに戻る際被告人の発した判示の言葉、自室に戻り滑り止めのため右包丁の柄にさらしを巻き、これを携帯して犯行現場に引き返したことなどを考えると、一見右の時点で確定的殺意を有していたものと認め得る如くである。しかしながら、被告人は当公判廷において、右包丁を取りに帰つた気持につき、「これを持つてあいつと喧嘩するつもりでした。」「相手が強かつたら刺すかも分らないと思つた。」旨供述しているほか、被告人の検察官に対する昭和五六年一〇月九日付供述調書によると、被告人は右包丁を携帯して犯行現場に引返したのち、直ちにこれを使用して上田に攻撃を加えたものではなく、同人に対し「俺は喧嘩したくないんや。」と言い、上田も「俺もしたくない。」と言うなどの問答があつたのち、被告人に対し「お前やるんか。」と言つて近付いてきた上田の挑発的言動に刺激されて包丁を取り出したことが認められるから、検察官主張の時点で未必的殺意はともかく確定的殺意があつたものと認めるには疑問がある。しかしながら、前示のような本件刺身包丁の性状、同包丁を取り出したのち、判示のとおり「殺してやる。」と叫びながら逃げる上田を追い、二度にわたり同人の腹部めがけて右包丁を突き出し、うち一回は狙いどおり同人の腹部を突き刺し、深さ約一二センチメートルに及ぶ左前胸部刺創の傷害を負わせたという右犯行態様及び右傷害の程度等をも併せ考えると、被告人が上田の挑発的言動に刺激され、包丁を取り出した時点で確定的殺意を有していたことを認めるに十分である。弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇三条、一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱中の行為であるから、同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二六〇日を右の刑に算入することとし、後記情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予することとし、押収してある刺身包丁一本(昭和五六年押八五〇号の1)は判示犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

(責任能力について)

弁護人は、被告人が本件犯行当時、強度の分裂病質という人格特性のために、本件犯行を抑制する意思を著しく減退させていたものであるから心神耗弱の状況にあつた旨主張し、他方検察官は、被告人が本件犯行当時強度の分裂病質という人格障害の持ち主であることは認めるものの、意識障害を伴つていたと認められる兆候は全くなく、また動機は了解可能であるから結局被告人は右犯行当時是非弁別能力に大きく欠けるところはなかつた旨主張するので、以下判断する。鑑定人太田幸雄作成の鑑定書及び鑑定証人太田幸雄の当公判廷における供述(以上あわせて以下太田鑑定という。)によると、「被告人は本件犯行当時精神分裂病者ではないが、強度の精神分裂病質という人格障害の持主であり、これまできわめて傷つけられ易い自己の内面を対人接触を避けることによつて、外界の刺激から守つてきたが、本件犯行は右のような人格障害に加えて、昭和五四年夏ころから仕事上運転手とのトラブルが多くなり、また昭和五六年六月ころまでは一人住いであつたのに、そのころから二人同居の生活を余儀なくされ、これを嫌つて寮の屋上に一人起居するなど精神的に不安定がましていたところに、被害者の粗暴ともいえる言動によつて、防御的な構えが突き崩されて強く傷つけられ、その反動として本件犯行が起つたものと考える。」とし、精神分裂気質、同分裂病質者には循環病(躁うつ病)質者と違つて、表面の状態から彼らの内的世界をうかがえないが、分裂気質、分裂病質の特徴として①非社交的、静か、控え目、まじめ(ユーモアを解さない人)、変人、②臆病、恥かしがり、敏感、感じ易い、神経質、興奮しやすい、自然や書物に親しむ、③従順、気立よし、正直、落着き、鈍感、愚鈍を挙げ、右の①の特徴はすべての分裂病質、分裂気質の人にみられるが、この①の特性を中心として②、③の特徴がさまざまの形で混合してひとつのまとまつた錯綜した複合体をなすが、その程度がひどいものが分裂病質であり、正常人にみられる程度のものを分裂気質という。②はいずれも精神の過敏性がいろいろの形であらわれたものであり、③は精神の鈍感さがいろいろの形であらわれたものである。なお感情の鈍感さは同情、共感とかの面で冷酷さともなる、というのである。

そこで太田鑑定、第二回公判調書中証人宮原和夫及び同福呂隆吉の各供述部分、第三回公判調書中証人畑部芳和、同畑部香子及び同畑部泰彰の各供述部分、第四回公判調書中被告人の供述部分、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(六通)に対する各供述調書を総合し、被告人の生活歴及び犯行当時の行動や感情の動き等を調べてみるに、

被告人は昭和二三年一〇月三日本籍地で出生したが、そのころ、実母に精神分裂病と窺われる精神障害の症状があらわれたため両親は協議離婚し、昭和三〇年ころ父は再婚、その後被告人は継母によつて養育されたものの継母になつくことはなかつた。小学校高学年のころから中・高校時代を通じて学業成績は優秀であつたのに、対人関係を極度に嫌い読書、勉強に没頭するようになつた。高校卒業後来阪し、工員、甲板員、トラック運転手等の仕事に従事したが、いずれも対人関係がうまくゆかず退職、帰郷を繰返し、ことに昭和四八年には自己の能力に極度の劣等意識を持つて帰郷したものの、実家に居住することなく、約五年間にわたり一人小屋にこもつた生活を送つた。その後生活費に窮して昭和五三年来阪し、トナミ運輸に就職したが、ここでも他人とのトラブルをおそれて全くといつてよいほど人付き合いをせず、対人関係を嫌忌する傾向は変らなかつた。さらに昭和五四年秋ころからは仕事が変りかつ多忙となり、トラック運転手から毎日のように「お前仕事が遅い。」などと文句を言われたため、対人関係に思い悩み、疲労も重なつて不眠、腹がはるなどの神経症的症状を示すようになり、昭和五六年六月ころまでは独身寮の自己の居室でステレオを聞くなどして気晴らししてきたが、そのころ被告人の強い反対にもかかわらず、右居室に他の従業員が入居することとなつたため、精神的に落ちつく場所を失い、一人右寮の屋上で起居するようになつて精神的に一段と緊張が高まり不安定となり、さらにそのころトラック運転手から同じように文句を言われ、怒鳴られたりしたため、近々運転手と大喧嘩をすることになるかもしれないとの予感を抱き、そのとき使用するつもりで本件刺身包丁を買い求めた。その後新しく入社した被害者が同年九月一二日ころから激しい口調で文句を言うため同人を嫌忌していた。その後判示犯行当日判示認定のような経緯のもとに本件犯行が行なわれたのであるが、被害者と口論したあと約二〇〇メートル離れた自己の居室に刺身包丁を取りに行き戻つてくるまでの行動は冷静そのものといつてよく、犯行後も格別興奮したり取り乱した様子が窺えず、自責の念がなく、逆に非常に生き生きした状態であつた、との事実が認められる。なお被告人は被害者の腹部目がけて刺身包丁を突き刺した点につき「小学校五、六年のころから包丁で人を刺すなら腹を刺そうと決めていた。」と供述し、また犯行時及び犯行直後の心理状態につき「走つて突くという一連の行動のとき自分としては興奮していなかつた。」旨、「事務所で刺された被害者をみたとき別に何とも思わなかつた、悪かつたとは思わなかつた。自分としてはそうなつても仕方ないことだと思つた。」旨供述している。

以上のような事実関係及び心理状態をもとにして考察すると、被告人は、前示太田鑑定が指摘する精神分裂気質、分裂病質の特徴①、②、③をすべて備えていると認めざるを得ず、その程度はかなり高いもので、被告人は精神分裂病質という人格障害の持主であると認められる。

ところで精神分裂病質は精神分裂病とちがい、一般的性格傾向としての分裂気質と比べて量的に強度な偏りを示すにすぎないから、分裂病質であることから直ちに心神耗弱と断ずることはできない。しかし犯行当時犯人がおかれていた精神的、客観的状況の如何によつては、分裂病質のゆえに心神耗弱の精神状態の下で犯行に及んだと認め得る場合が考えられるので、さらに検討するに、太田鑑定が指摘するように、被告人の性格は、非社交的であり、表面は鈍重であるにもかかわらず、内面はきわめて敏感で、劣等感を持ち、自己を傷つけられることをおそれて対人接触を避けているが、極端な過敏性、それにもとづく攻撃性を秘めていると認められるところ、本件犯行は、前示のように昭和五四年秋ころより対人関係の心労から神経症的症状を示すようになり、昭和五六年六月以降は一人落着く場所を失い、近々トラック運転手と大喧嘩するかもしれないとの予感のもとに本件刺身包丁を買い求めるなどし、精神的不安と緊張が一段と高まつていた矢先、被害者から被告人が内心最も悩んでいたことを口に出して詰られ、精神的緊張が一時に爆発した挙句の犯行であると認められ、犯行直前ころにおいては、被告人は右のような精神的、客観的状況のもとで、もはや被害者を刺殺する以外にみちはないと思い詰めた精神状態にあつたものというべく、本件が激情犯的犯行であるにもかかわらず、犯行直前、直後における被告人の異常ともみえる冷静な言動に徴しても、その原因は分裂病質という高度の性格の偏りにあるものとみるのが相当である。そして本件犯行は被告人が分裂病質のゆえに、対人関係の重圧に堪えきれず、被害者の言動を契機として、そのような状態からの解放に向けられた行為であることを考えると、本件犯行当時被告人が完全な責任能力を有していたとの検察官の主張に左袒し難く、被告人は是非善悪の判断に従つて行動する能力が著しく減退していたものと認めるのが相当であり、心神耗弱の精神状態にあつたものと判断する。弁護人の主張は理由があるといわなければならない。

(量刑の理由)

本件は、強度の分裂病質という人格障害の持主である被告人が、被害者の些細な言動に挑発され、本件刺身包丁で同人の胸部等数ケ所を突き刺した事犯であるが、本件犯行は判示のとおり確定的殺意によるものであり、その犯行態度は前示「殺意の認定について」の項で判示したとおり、危険極まりないものであり、傷害の程度は加療約四七日間を要する重傷であること、妻子ある被害者の蒙むつた肉体的精神的苦痛は甚大であつたことなどを併せ考えると、被告人の刑責は重大であるといわなければならない。しかしながら、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたこと、計画的犯行とはいえないこと、被害者にも全く落度がないとはいえないこと、被害者に対し兄達によつて誠意ある慰藉の措置が講じられ、一〇〇万円を支払うことで示談が成立し、全額が支払われていること、被害者から更生することを期待する旨の上申書が提出されていること、被告人にはこれまで前科前歴がなく、平素の生活態度は真面目であり、本件につき反省改悛の情が認められること、自分の全財産(約九〇万円)を右被害弁償に充当したこと、実兄(二男)が当面被告人を自宅に引取つて病院との連絡をとりつつ仕事をさせる旨、親戚筋に当る知人が被告人を雇用し前示事情を了解配慮して使つて行く旨それぞれ供述していること、更に被告人にとつて集団生活、拘禁生活は耐え難いものであるとの太田鑑定をも併せ考えると、被告人に対し、実刑を科すよりも、今回に限り刑の執行を猶予して社会内において右兄や知人の協力のもとに自力による更生の機会を与えるのが具体的に妥当な措置と思料され、主文のとおり量刑した。

よつて主文のとおり判決する。

(重富純和 山本愼太郎 石井寛明)

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